──10年の時を経て、あの頃の自分へ
「偉くならなくたっていい」
そんなふうに、ふと思えた瞬間、心がふっと軽くなったのを覚えています。
かつての私は、どこかで「上に行かねば」「認められねば」と思っていたのかもしれません。
けれど、ある時期から、その執着がすっと消えていきました。
そして、57歳で退職。
あれから、もう10年が経ちました。
最近ふと、昔のブログ記事を読み返していて、
「もう一度、あの頃の気持ちを、今の自分で書き直してみよう」と思ったのです。
偉くならない人生、でも後悔はない
こんな一節があります。
偉いとか偉くないとか、本当にそんなことは関係ない
偉い人がする仕事、偉くない人がする仕事なんてものはない
運命に従って、お役に立てる働き方を自分で考えて、
やれることを精一杯努力していくしか仕方がない
── 福井福太郎/広野彩子 著『100歳、ずっと必要とされる人』より
この言葉を読んだとき、深く心に沁みました。
私もまた、どこかで「自分なりのやり方」で一生懸命やってきたつもりでした。
でも、その“やり方”が周囲とうまく噛み合わないことも多く…
「アイツを絶対に管理職にするな」
そんな言葉が飛び交っていたという噂を、人づて耳にしました。
まぁ、自業自得です。
でも、後悔はしていません。
退職のときも、あまり引き留められませんでした。
少し寂しい気持ちもありましたが、それもまた事実として、すんなり受け入れられました。
必要とされる場所は、自分で選べる
職場では「ずっと必要とされる人」にはなれなかったけれど、
それでも今、私を必要としてくれる誰かが一人でもいるなら——
その人のために、自分ができることを、精一杯やりたい。
そしてその人が笑顔になってくれたなら、それだけで、もう十分です。
大勢に評価されなくてもいい。
上を目指さなくてもいい。
たった一人の「ありがとう」のために、今の自分を差し出せる人生こそが、
私にとっての「えらい生き方」なのかもしれません。
10年後の自分が、10年前の自分に言ってあげたいこと
あの頃はまだ、自分の価値を「職場の中の役割」や「人の評価」で測っていた気がします。
でも今なら、10年前の自分にこう伝えられます。
「あなたは、ちゃんと誰かの力になってるよ」
「えらくならなくても、価値のある人生があるよ」
そして——
たった一人でも、必要とされるなら。
その人の笑顔のために、生きていこう。
これからも、そうありたいと願っています。
誰かが自分を責めそうになったときの、小さな灯りになれば嬉しいです。
今日もすてきな一日となりますように。
そして、明日も素敵な一日となりますように。