つれづれなるままに・・・
/「大丈夫?」という言葉、
ときどき優しさより、重たく感じることがあります。
そんなとき、
私たちはきっと“励まし”より“共感”を求めているのかもしれません。
頑張れなんて言われたくない。
何かを変えようとしなくていい。
ただ、隣にいてくれるだけでよかった。
今日は、そんな気持ちにそっと触れます。
同情ではなく共感するとはどういうことでしょうか?
「同情するなら金をくれ!?」
TVドラマ「家なき子」での有名なセリフです。
あまりにも有名で、少し乱暴だけど、本質を突いているように感じることもあります。
「どうしたの?」「大丈夫?」「おはよう!」
こんな言葉をかけることは、コミュニケーションの第一歩。
それ自体は、もちろんとても大切なことです。
でも、お金がなくて切羽詰まっている人に、
「大変だね、頑張れ!」は少し違いますよね。
これっきりというくらい、いっぱい頑張ってきた人に、
「もう少し頑張れ!」なんて言ってしまったら――
きっと返ってくるのは、
「辛いことを乗り越えて、頑張って頑張ってきたのに、
さらに頑張れ? これ以上どうすればいいの?」
という、心からの叫びかもしれません。
相手に同情するのではなく、共感する。
それは、「気の毒だね」「かわいそうだね」と
相手を下から見上げたり、上から見下ろしたりしないこと。
共感とは、相手の気持ちに寄り添うことです。
「本当にしんどかったね」
「よくここまでやってきたね」
「そんな状況でも、話してくれてありがとう」
そんな言葉が、心をじんわり温めてくれることがあります。
共感とは、「わかってるよ」と押しつけることではなく、
「わかりたい」と、そっと心のドアをノックするようなこと。
そして、時には解決しようとしない勇気でもあります。
人は困っている誰かを見ると、つい何かをしてあげたくなるもの。
アドバイスをしたり、元気づけたり、解決法を提示したくなる。
でも、本当に必要なのは、
「一緒にいてくれる人」であることも多いのです。
励ましの言葉より、ただ「うん」とうなずくこと。
沈黙のなかで、ただ隣にいること。
共感とは、
「あなたの気持ちは、ここでちゃんと受け止められているよ」
というメッセージを、言葉以上の何かで伝えることなのかもしれません。
私自身も、そんなふうに
誰かの隣に、そっといられる人でありたいなと思います。
「頑張って」ではなく、「今のあなたをちゃんと見てるよ」
そんな言葉を、今日も誰かに届けられますように。
今日もすてきな一日となりますように
そして、明日も素敵な一日となりますように。