過去にこだわらない──許しがくれる、自由と再生の力
許しは、恨みや嫌悪に縛られた心を解き放つための鍵だ。
苦痛の鎖や利己心の足かせを壊す力だ。
──ウィリアム・アーサー・ウォード(宗教家)
「許す」という行為は、相手のためのようでいて、
実はもっとも癒されるのは“自分自身”なのかもしれません。
ヨセフの物語──赦しは、復讐に勝る勇気
『豊かな人間関係を築く47のステップ』の中で紹介されている、旧約聖書のヨセフの物語。
私は子供の頃からこの話を知っていましたが、大人になった今こそ、その意味の深さを実感します。
ヨセフは父ヤコブに溺愛され、兄たちに妬まれ、ついには奴隷として売られてしまいます。
過酷な環境の中で17歳のヨセフは、やがて知恵と誠実さを買われ、エジプトで宰相の地位にまで登り詰めます。
そして訪れる、7年の大飢饉──
食料を求めて訪ねてきたのは、かつて彼を売り飛ばした兄たち。
ここで復讐のチャンスが訪れます。
でもヨセフは、誰一人責めることなく、兄たちを許します。
私なら、許せるだろうか?
たとえば、自分にされたことであれば──
時間はかかっても、きっと受け入れられるかもしれません。
でも、もしそれが家族や大切な人を傷つけた出来事だったら……
私は、すぐに赦すことができるだろうか。
そう問われると、正直「時間がかかる」としか言えません。
世の中には、何度も謝っている相手に対して「まだ足りない、誠意が見えない」と責め立て、
その人を徹底的に追い詰めてしまうケースもあります。
一方で、自分が傷つけられたわけでもないのに、
「絶対に許すな!」と感情的になっている声も耳にします。
傷つけられた記憶の、その先へ
人間関係は、いつも順調とは限りません。
信じていた人に裏切られたり、思わぬ一言に傷ついたり、
ときには無視や軽んじられることで、自尊心が深く傷ついてしまうこともあります。
「もう顔も見たくない」
「声も聞きたくない」
そんなふうに思ってしまうのも、当然です。
でも、もし心のどこかで
「このままでは苦しい」と感じているなら、
少しずつでも“過去へのこだわり”を手放してみることが、
自分を解放する第一歩かもしれません。
許すことは、心の治癒でもある
ロナルド・レーガン元大統領の娘が語った、父のエピソードがあります。
暗殺未遂事件の翌日、
レーガン氏は娘にこう言ったそうです。
「自分の健康が回復するかどうかは、犯人を許せるかどうかにかかっている」
これは、許すことが、ただの倫理的行為ではなく、
“心と身体を癒す鍵”であることを示す、強いメッセージです。
悲しみの中には、喜びの芽がある
ドクター・ディマティーニは、著書『逆境がチャンスに変わるゴールデンルール』の中でこう言っています。
「悲しみの中には、同じ分だけ喜びがある」
つらい出来事の中にこそ、学びがあり、成長があり、
そして、未来への希望が芽生えるのだと──
これは、ワークで実感できる考え方でもあります。
私のセミナーでは、またいつか、このテーマにも触れてみたいと思っています。
最後に
許すというのは、
「忘れる」ことでも、「なかったことにする」ことでもありません。
それは、「もう、ここにはとどまらない」という、心の決意です。
過去の出来事に縛られて生きるのではなく、
その出来事を抱えながらも、前を向いて進むという選択。
誰かのためでもなく、自分のために。
心の平安のために。
今日、ほんの少しでも「許すこと」を考えてみる。
そんな一歩が、あなた自身をやさしく守ってくれるはずです。