見返りを求めずに誰かに与えることは、
ときに「損をすること」のように見えるかもしれません。
それでも私は、人生を本当に豊かにするのは、そんな行為なのだと思っています。
見返りを求めずに愛する
我々の人生を形作るのは、二種類の人だ。
われわれを愛してくれる人、
そして、われわれを愛するのを拒んだ人。
―― ジョン・パウエル(イエズス会士)
今日のお題も、『豊かな人間関係を築く47のステップ』からの一節です。
昔のテレビ番組には、今よりもずっと、
人生を静かに、しかし確かに豊かにしてくれる
“生き方のヒント”が散りばめられていました。
ここで紹介されていたのは、
1960年から1968年に放送されていたアメリカのテレビドラマ
『メイベリー110番(The Andy Griffith Show)』
派手な演出はありません。
けれど、人と人との関係の中にある
「思いやり」や「善意」が、
とても丁寧に描かれていた番組だったそうです。
その中で語られていた言葉が、今も胸に残っています。
「他人の人生を豊かにすることで、自分の人生も豊かになる。
それが、本当の愛なのだ。」
愛とは、何かを手に入れることではなく、
与えること。
しかも、余った分を渡すのではなく、
ときには“自分が足りないと感じているとき”にさえ
差し出すことなのかもしれません。
思い出すのは、『小公女』の主人公セーラ。
自分も空腹なのに、
雨に濡れて震えている少女に
たった一つのパンを差し出した場面です。
また、私の大伯父の話も、
子どもの頃からなぜか忘れられません。
敗戦後、中国から復員するときのこと、
故郷宮城へ帰る列車の中。
昼食にと持っていた米のおにぎりを食べようとしたとき、
目の前に、明らかに空腹の親子が座っていたそうです。
「家に帰れば、また食べられる」
そう思い、
そのおにぎりをすべて、その親子に渡しました。
ところが――
家に着いてみると、米はもう残っていなかった。
すべて供出してしまっていたのです。
笑えない話ですが、
それでも私は、この話を聞くたびに思います。
それでも、その行為が“間違いだった”とは、
どうしても思えない。
見返りを求めない行為。
損か得かで測れない選択。
そこにこそ、人としての深さがあるのではないかと。
では、今の私は、何ができるのだろう。
若い頃のように、
無理をして与えることはできないかもしれません。
でも――
話を聞くこと、
相手の存在を尊重すること、
急がず、否定せず、関わること。
それもまた、
立派な「見返りを求めない愛」なのだと思うようになりました。
ところで、
愛の話をすると、
お金はすぐに“悪者”にされがちです。
けれど私は、こうも思っています。
「お金持ちになると、
より多くの人を幸せにする“選択肢”が増える。」
お金そのものが汚いわけでも、
悪いわけでもありません。
どう使うか、
どんな想いをのせるか、
それが問われているだけなのだと思います。
見返りを求めずに与えること。
それは、自己犠牲ではなく、
自分の人生を、静かに豊かにしていく行為なのかもしれません。
今日もまた、
小さなところから。
できる形で。
振り返ったとき、
「あれでよかった」と思える行為が、
人生には、いくつかあれば十分なのだと思います。
与えたつもりのものに、
実はいちばん救われているのは、自分なのかもしれません。
こうした小さな選択を、
一度立ち止まって振り返ってみる時間も、
人生には、あっていいのかもしれません。
静かに自分に戻る時間について、
これまで書いてきたものを、下に置いておきます。
▶自分に戻る時間について
もし今、職場の人間関係を一人で抱えるのがしんどくなっていたら、こんな整理の仕方もあります。
▶人間関係で疲れたとき、立ち止まる場所
人間関係に疲れたとき、無理に前向きにならなくていい場所が、あってもいいと思っています。
▶上司・職場の人間関係に疲れたあなたへ
もし今、職場の人間関係を一人で抱えるのがしんどくなっていたら、こんな整理の仕方もあります。
