自分の積み立て(人によって解は異なる)

「20代にやるべきこと」「30代ではこれを」
そんな言葉は、ン十年変わらない。

本も、セミナーも、同じように並んでいる。

自分もその中にいたけれど、
どこかしっくりこなかった。

将来が不安だから、副業を。
それも一つの考え方だと思う。

でも、続かなかった。

老後の不安があるなら、投資をすればいい。
それも間違ってはいない。

でも、そこで止まる。

だから自分は、別のところから始めた。

知ること。
学ぶこと。

お金のことだけではなく、
世の中のことや、自然の理。

すぐに役に立つわけではない。
副業につながる保証もない。

それでも続けた。

仕事で役に立つことがある。
日常の見え方が変わることもある。

「芸は身を助く」

何がいつ効いてくるかは分からない。

たとえば、英語。

当時は特に理由もなく、
英会話や翻訳の勉強をしていた。

それが後になって、
日本を飛び出し、
外交官として大使館で働くことにつながるとは、
思ってもいなかった。

結局、

分からないが、分かる。

ふっとつながる瞬間。
「ああ、こういうことだったのか」と腑に落ちる。

あとになって、別のところで答えに出会う。

そのとき、少し嬉しくなる。
むふふ、と。

この感覚は、たぶん伝わらない。

経験した人にしか分からない。

それでも続いているのは、
「無駄の効用」を体験しているからだと思う。

すぐに役に立たないことが、
あとになって効いてくる。

いまは、時間がある。

どこも雇ってくれない年齢、
そう言ってしまえばそれまでだけれど、

使える時間ではある。

量子力学から宇宙論へ。
AIの開発もある。

新しいようでいて、
どこかこれまでの延長でもある。

積み上がるものもあれば、
抜けていくものもある。

それでもまた、手を伸ばす。

自分の積み立て。

人によって、解は異なる。

ここまで来れば、

命つきるとき、
「ざまあみろ」と言って、
少し笑って終われる自分でいたい。

それが誰に向けたものなのかは、
自分でもよく分からない。

でも、たぶん、

これまでの自分かもしれないし、
どこかで諦めそうになった自分かもしれない。

あるいは、
「役に立たない」と切り捨てられてきたものに対してかもしれない。

はっきりさせなくてもいい。

分からないままでもいい。

結局

分からないが、分かる。
いつか、解る。