コーチングでは「人生の輪」を使うことがあります。
満足している領域と、不足している領域を見える化するためです。
そして多くの場合、
不足している部分を埋めるように行動が促されます。
この流れ自体は自然だと思います。
人は、足りないと感じたものを満たそうとするから。
ただ、ここで一つ分けて考える必要があるのです。
仕事においては、
やった分だけ返ってくるとは限らないのです。
評価は絶対ではなく、
環境や他者によって変わります。
どれだけ無理をしても、
お金や評価として返ってこないこともあります。
これは、良い悪いではなく、そういう構造だと思うのです。
その前提を置いた上で、なお残る問いがあります。
「なぜ、そこまでしてやるのか?」
不足を埋めるために動く。
それ自体は自然なこと。
ただ、その過程で
・無理をする
・やり過ぎる
・自分の限界を越える
という状態が生まれることがあるのです。
そして、ふと問われる。
「なんで、そこまでしてやる必要があるの?」
そのとき、すぐに答えられないことがあります。
やっていること自体は間違っていないはずなのに、
どこかでつながっていない感覚があるのです。
もしかすると、
無理とは「頑張りすぎ」ではなく、
“そこまでしてやる理由が、自分の中でつながっていない状態”
なのかもしれません。
人は不足を埋めようとします。
けれど、その満たし方によっては、
どこかに歪みが生まれます。
その歪みは、外側の結果ではなく、
内側の感覚として残ります。
だからこそ、途中で問われるのです。
「それは、本当にあなたの価値観に沿っているのか?」
ここでいう価値観は、
理想として掲げているものではなく、
“自分がどう在りたいか”という実感に近いもの
なのかもしれません。
・何を優先したいのか
・どこまでなら引き受けられるのか
・何を削ると違和感が残るのか
そういったものは、
最初から明確に言葉になっているわけではありません。
むしろ、
無理をしたとき、
やり過ぎたとき、
理由がつながらなくなったときに、
あとから浮かび上がってくるのです。
目標を達成するかどうかではなく、
どんな前提で動き、
どんな理由でそこまでやるのか。
そのとき、自分はどこに立っていたのか。
そこに、まだ言葉になっていない
自分なりの基準があるのかもしれません。
何かを得れば、何かを失うこともある。
手に入れるために、何かを我慢しているとも言える。
そう考えると、
人の動きはどこかで釣り合おうとしているのかもしれません。
満たそうとする動きと、削られていくもの。
その間で、
人は行き過ぎたり、戻ったりしながら、
何かを探っているようにも見えます。
